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福岡地方裁判所 昭和32年(行)11号 判決

原告 林鹿造

被告 飯塚労働基準監督署長

訴訟代理人 中村盛雄 外二名

主文

被告が原告に対して昭和三十年二月十七日になした左示指及中指挫創並右示指屈筋腱一部断裂后の障害等級十四級の九号に該当するとの決定はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、その請求原因として、

一、原告は福岡県山田市大字下山田、日本炭鉱株式会社山田鉱業所の採炭夫であるが、昭和二十九年十月二十三日右鉱業所坑内で採炭作業に従事中炭壁が落下して松岩と落硬のため左示指をはさみ業務上の負傷をした。そのため原告の左示指は第一節が屈曲せずして用をなさず、かつ局部に頑固な神経症状を残している。

二、よつて原告は昭和三十年一月三十一日附で診断書を添えて被告に労働者災害補償保険法による障害補償の給付を請求したところが、被告は、昭和三十年二月十七日附で原告に対し原告の左示指及中指挫創並左示屈筋腱一部断裂後の障害はその等級十四級の九号に該当する旨の決定をなした。

三、原告は被告の右処分を不服として、福岡労働基準監督署審査官坂口宗喜に対して審査の請求をなしたが、同審査官は、右請求の申立は認めない旨の決定をなした。そこで原告は、さらに右決定に対して労働保険審査会に再審査の請求をなしたが、右審査会は昭和三十二年五月二十七日附で右請求を棄却する旨の裁決をなした。

四、原告の負傷は現在においても左示指の用を廃しており、かつ左示指及び左中指の局部に頑固な神経症状を残しているので、労働者災害補償保険法施行規則別表第一の身体障害等級表の第十一級の七号もしくは同表の第十二級の十二号に該当すべきものであつて、同表第十四級の九号に該当すべきものではない。しかるに被告が原告に対して原告の左示指及中指挫創ならびに左示指屈曲腱一部断裂后の障害等級十四級の九号に該当する旨の決定をなしたのは違法であるからその取消を求めるため本訴を申立てる、と述べ、被告の本案前出訴期間徒過の抗弁事実を否認し、

被告指定代理人は「原告の訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、本案前の抗弁として、被告に対する本訴が提起されたのは昭和三十二年八月二十四日であるところ、原告の労働保険審査会に対する再審査の請求に対し、同審査会が原告の右請求を棄却する旨の裁決をなしたのは昭和三十二年五月十五日であり、その裁決書が原告に到達したのは同月三十日であるから、本訴は労働者災害補償保険法第四十条所定の出訴期間を徒過した不適法な訴であるから却下さるべきである、とのべ、本案につき「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として原告の請求原因中第一項につき、同項中「左示指の第一節が屈曲せず、かつ局部に頑固な神経症状を残している」との部分を否認し、その余は認める。第二、三項の事実は認める(但し、第三項中労働保険審査会が裁決をなした日は昭和三十二年五月十五日である。)、第四項は否認する。

障害補償給付のための障害程度の認定時期は「なおつたとき」つまり「治ゆ」の時点である(労働者災害補償保険法十二条二項、労働基準法七十七条)、然もそれは必ずしも医師の認定に拘束されず労働基準監督署長において行政目的上障害認定の適確を期するため、若干の爾後観察に必要な期間経過の時点である。しかしてその時点において認定される障害の程度は当時の現症を含めて予見可能な範囲に限定され、予見不可能な障害は補償の対象とされず、爾后の程度の増悪は傷病の再発と認められる場合を除いては再認定しない。

本件においては、原告は、左示指中指挫創並に左示指屈筋腱一部断裂併左指第一指骨骨折左中指末節皹裂骨折の負傷をし加療中のところ、昭和三十年一月六日「治ゆ」したので被告は請求に基き二月十七日に請求の趣旨どおりの決定をしたのであるが、当時の原告の左示指第一指関節の障害程度は、骨折部ゆ合は良好で転位は認められず、その運動は屈曲百二十度(腱側八十度)伸展百八十度(腱側百八十度)であつて、その運動領域は二分の一以上に達しており、屈筋腱の断裂はあつたが、腱ゆ着は認められず、またその発生も予見出来なかつた。故に現在腱ゆ着が認められてもそれは認定時において予見し得ない傷害であるから障害補償の対象とならない。従つて本件被告の処分には何の違法も存しないとのべた。

証拠〈省略〉

理由

先ず被告の主張する出訴期間徒過の抗弁について判断する。

一般的にある行政処分(原処分)とこれに対する訴願棄却裁決とは、実質的には全く同一の内容を有する行政処分と云うことが出来る。従つてその各処分の取消請求は実質的には全く同一の請求であると考えられる。従つて原処分を不服とする者は原処分、訴願棄却裁決の何れをも攻撃の対象として取消を請求することが出来るのみならず、訴願裁決庁より原処分庁へ被告を変更することも(その反対の場合も)自由であると解される。しかして右の場合は被告を誤つたからではなく、実質的に被告である国家を便宜上、形式的に代表する現実的訴訟追行機関としての被告を変更したにすぎず、民事訴訟法上の訴の取下を伴う当事者の交替的変更に該当しないのであつて、最初の訴願棄却裁決の取消の訴が出訴期間内に提訴せられたものである以上、出訴期間徒過后に原処分の取消の訴に変更されても依然適法な訴として繋属するものと解される。ところで本件においては、裁判所が昭和三十二年五月三十日原告に到達していることは成立に争のない乙第一号証の一、二により、また原告からそれより六十日以内の昭和三十二年七月二十三日労働保険審査会を相手として再審査請求棄却裁決取消の訴が提起されたこと、同年八月二十六日右が被告を相手とする原処分の取消に変更せられたことは本件記録により明らかである。しかして当初の労働保険審査会を相手とする再審査棄却裁決取消の訴提起が有効になされている限り、後の被告を相手とする原処分取消の訴に変更されても、それは依然適法な訴として繋属するものであることは前記の通りであるから、本件訴は労働者災害補償保険法四十条所定の出訴期間を徒過したものと云うことは出来ないので、此の点に関する被告主張は失当である。

さて、原告は福岡県山田市大字下山田、日本炭鉱株式会社山田鉱業所の採炭夫であるが、昭和二十九年十月二十三日右鉱業所坑内で採炭作業に従事中、炭壁が落下して松岩と落硬のため左示指をはさみ業務上の負傷をしたこと、原告は昭和三十年一月三十一日附で、被告に対し診断書を添えて労働者災害補償保険法による障害補償の給付を請求したが、被告は昭和三十年二月一七日中原告に対し「原告の左示指及中指挫創ならびに左示屈筋腱一部断裂後の障害は等級十四級の九号に該当する」旨の処分(以下本件決定という)をなしたこと、原告は右被告の処分を不服として、福岡労働基準監督署審査官坂口宗喜に対して審査の請求をなしたが、同審査官は右請求の申立は認めない旨の決定をなした。そこで原告は、さらに右決定に対して労働保険審査会に再審査の請求をなしたが、右審査会は右請求を棄却する旨の決定をなしたことについては当事者に争いがない。

そこで本件における障碍程度の認定基準となる時期について判断をする。

労働者災害補償保険法第十二条、労働基準法第七十七条は労働者が業務上負傷し「なおつたとき」その時期において障碍の有無程度を審査し、身体に障碍が存すると認めた場合にはその障碍の程度に応じて障碍補償費を支給すべきことを規定している。

しかして、労働者災害補償法の目的が、労働者の迅速な保護のために障碍補償請求権の権利関係を確定しようとするところにあり、更に右障碍補償は原則として一時支給金であつて支給後その傷病について再び症状が悪化した場合には再補償、外科的処置の手段もとられ得ることを考え合せるならば右にいう「なおつたとき」とは医学上の治癒の時期とは必ずしも一致せず、症状が固定し、その後療養を続けても医学効果を期待し得なくなつた状態に至つたときを基準とし、その時において予見の有無を問わずあきらかとなつている状態を調査して障碍の有無、程度を認定するものと解すべきである。ところで本件において成立に争のない甲第二号証の三、同号証の五、同号証の七及び証人石松睦彦、同東保男の各証言によれば、原告は昭和二十九年十月二十三日左示指及び左中指に被告主張のような負傷をし、治療を受けていたが、翌三十年一月四日軽作業につきその主治医である日本炭鉱株式会社山田鉱業所病院の医師石松睦彦は同月六日に治癒したものと認めたので、原告は同医師の診断に基き災害補償費請求をしたこと、被告は同年二月九日係官東保男に障碍程度の調査をさせ、同月十七日右調査報告に基き、本件決定をしたことが認められ、被告がした右認定時期は相当であり、本件処分の当否も右認定時の状況にさかのぼつて判断すべきである。

次に右時期における原告の障碍程度について、被告は労働者災害補償保険法施行細則別表第一の身体障碍等級表第十四級第九号の「局部に神経症状を残すもの」に該当すると主張し、原告は同表第十一級七号の「一手の示指の用を廃したもの」もしくは第十二級第十二号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当すると争うのでこの点について判断する。

前掲甲第二号証の三、同号証の五、同号証の七と証人石松睦彦、同東保男の各証言によれば、訴外東保男は飯塚基準監督署の労災保険の審査係官として、昭和三十年二月九日日本炭鉱山田鉱業所病院外科診療室で原告の前記負傷に基く障碍程度を調査し、レントゲン写真により左示指第一指骨折、腱断裂(縫合)、骨折部の癒合良好、転位認められずと判断し、角度計による測定によりその運動範囲は屈曲度百二十度、伸展度百八十度と判定し、左示指々関節の屈伸障害が僅かに認められるのみで、障害等級は十四級の九号に該当するものと認定したこと、右調査には主治医の石松睦彦が立会つており、同人の診断書にはその程度を左示指は第一指骨関節部で稍々彎曲していること、運動範囲は左示指第一指関節で屈曲度百四十度、伸展度第百六十度となつており、左示指第一指関節上周径六・五糎、左中指末関節上周径は腱側に比べ〇・五糎の肥厚があることを認め、障害等級は十一級の七号と認定されていたこと、右東保男はその調査に際しては右診断書は見たが、特に右石松医師につきその意見をただすこともなく、角度測定の誤差程度の問題と考えただけで屈筋腱の癒着乃至はその可能性について考慮することなく前記のように認定の上被告に対し被告したこと、右石松医師の前記診断当時は屈筋腱の断裂に対する腱縫合によりある程度の腱の癒着の可能性は推定でき、かつ当時左示指は第一指骨関節で指が伸びない状態にあつたことを認めることができ、また成立に争のない甲第二号証の八及び証人坂口宗喜の証言によれば、原告の審査請求に対する審査について、訴外坂口宗喜は、同年六月二十一日原告の障害の程度について左示指関節部の屈側及び背側並びに中指末関節背側に挫創瘢痕、また左示指第二節以下軽度の筋萎縮を認めた上左示指、中指の運動制限は軽度であつて二分の一に達しないと認定しているが、同人はその調査に際し主治医の立会もなく、障害部位の外観を見て簡単な運動測定を一回したのみで本件決定を支持したものであることが認められるし、他方証人岩崎高介の証言と同鑑定人及び同村上義康の各鑑定の結果によれば、昭和三十三年八月及び九月中原告の左示指第一指関節の運動障書の程度は、屈筋腱の癒着に起因し、障害等級表十一級の七号に該当することを認めることができる。右認定の事実に反する証拠はない。

右認定の事実からすると、本件決定の際の調査の日と前記石松医師が診断をした日との間は二十日にすぎず、その間特に原告の傷害が快方に向つたような事情も認められず、かつ前記鑑定は本件決定から約三年六月を経過した後のものではあるが、その結果が右石松医師の診断による認定と同一結論に帰着していること及びこの間右傷害が増悪したと認める特段の事情のない本件では右癒着は前記傷害の自然的経過によつて生じているものと認むべく、本件決定の当時は前記石松医師の認定した障害の状況は未だ存続していたものと解することができる。しかして前記診断書によれば原告の障害の程度は本件決定当時、左示指第一関節には障害等級表第十一級の七号に該当する運動障害を残していたものと認めるのが相当であるから、これと異なる認定に出た被告の本件決定は失当として取消を免がれない。

よつて原告の本訴請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 鍛冶四郎 杉島広利 桑原宗朝)

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